「ほっ」と。キャンペーン

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オタフコ

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 昨日なにげなく買った片栗粉。袋の上のほうにおたふくのマーク。FUKUという文字とともに描かれたそのおたふくは、、、
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暗い目のおたふく。「福」ってより不幸な人っぽい。こわいってば。

 11年前の今日。1996年10月31日。旅の162日目。トルコ ワン。
 久しぶりの快晴。ワン城へ。ワン湖のほとりにあるワン城は岩山の上にある。
 城自体は城壁を残しているだけでつまらなかったが、そこから見下ろす景色は別物だった。
 ワン湖はエメラルドのような色や空色など様々に色を変え、周囲は豊かな緑の牧草地。昨日の雨でできた水たまりに空が映って輝く。牛や羊が水を飲んだり草をはんだり。
 湖と反対側はワンの市街。遠めに見る街は木々が全体に黄色く染まっていた。
 街の向こう側にはそびえたつ雪山。麓は茶色の山肌だが、ある高度から白く染まっている。
 こんなとき一人旅のつまらなさ、を感じる。誰かと一緒に見たかった。
 いや、もちろんN沢君は一緒だったけど。。。
 午後から6時間かけてディヤルバクルへ移動。
 
 
by haiderinn | 2007-10-31 09:37 | こんな毎日

栗をいただきました

a0094201_9161456.jpg 少し前の話ですが、お客様から栗をいただきました。
 たくさんの栗。おそらく八重山ではとれない秋の味覚。栗をつかったたくさんのお菓子も今頃店頭にたくさん並びますね。
 家で栗を使った料理といえば、私の場合は子供のころ食べた栗ごはん。もち米にたっぷりの栗。ちょっとだけ塩味を利かせてあるのがうまい!。
 それからー、うーんと、、、、他に栗を使った家庭料理って何があったっけ?栗きんとんは市販品だったろうしなあ。
 と、思いつかないのは、大人になって自分たちでまともに栗を使った料理をしていないからでしょう。
 今回も、どうしようかと思い悩み、、、、「とりあえず茹でっか」となりました。
 30分ぐらい鍋の中でグラグラやって、あげて、と。
 さあ、皮むき。
 表の鬼皮は包丁で少し切れ目いれてからベリベリってはぎとり、そして中の渋皮。
 ちょっと爪をつかって、むき、、むき、、、むけない!
 渋皮がうまくむけません!
 無理やりむこうとすると中の実までボロボロにこわれてしまって。
 そして指先が痛い!
 特に爪と指の間。
 渋皮ってこんなにむくのがたいへんなものなのでしょうか?
 ボロボロになりながらなんとかかき集めた栗の実は、料理長がスープに入れて食べることができました。
 みなさん、栗の渋皮むきはどんな風にしているのでしょうか??

 11年前の今日。1996年10月30日。旅の161日目。トルコ ワン。
 雨、ときどきみぞれ。朝のうちは昨晩からの停電が続く。
 ロカンタといわれる大衆食堂で朝食。
 地下にあるその店は停電のため、地上部に30cmほど出ている窓から入ってくる光のみ。
 薄暗い食堂でチャイの湯気がたちこめる。
 道行く人はポケットに手を入れ、白い息を吐いて歩いている。温かい冬の風情。季節がずいぶん変わった。
 午前中、昨晩N沢くんが出会ったという地元大学生のアフメト君の部屋に招待された。
 そこで2度目の朝食。
 卵とチーズを焼いたもの、オリーブ、パン、チャイ。
 これがトルコの典型的な朝食らしい。
 ほかの二人の大学生と共同で借りているという部屋は決して3人で暮らすほど広くはないが、ソファーベッドなど若者らしい家具が置いてあり、まあそれほど貧しい暮らしをしているわけではなさそうだった。
 彼らとは一旦お別れして、床屋へ。
 旅にでて初めての床屋。5カ月ぶり。
 英語が通じそうもないので髪の切り方を説明できず、まごついていたところ助手のアブドゥラー君13歳が
 「アメリカンか?」
 と尋ねてきた。
 髪型のアメリカンとはどんなものなのだろう??
 想像つかなかったが「そうだ」と答えておいた。
 すると、単に短く切りそろえただけのものだったが、まあ星条旗柄にされなかっただけいい。
 ひげも3カ月ぶりにすべてそり相当さっぱりした顔はやけに子供っぽく、そして小さくなった。
 トルコの床屋の手順は、シャンプーも霧吹きもなしでいきなりハサミを入れたり、バリカンが手動だったほかは日本とほとんど変わりなく、安心して任せることができた。
 途中、
 「英語はできるか?」
 と尋ねられたので、
 おや、多少話は通じるのか?
 と思っていると、、
 「what's your name?」
 と尋ねてきた他はほとんど何も通じず、結局こちらがほんのわずかなトルコ語を使ってコミュニケ―ションをとった。
 切り終わった後でチャイのサービスがついて20万リラ(=200円)。大満足だった。
 この日はいろいろとやっている。
 床屋のあとはハマムへ行った。 
 ハマムとはいわゆるトルコ風呂だ。
 トルコ風呂は、自分が子供のころは全く別の意味を持っていた。
 それだけ日本と世界の距離が遠かったということだろう。
 トルコ風呂では、かならず垢すりをしてもらえる、という先入観があったが、そんなものは特になかった。
 大きな浴室がいくつもの個室に分かれていて、その中でお湯を使って普通に自分で体を洗って出る、というものだった。
 湯船があれば言うことなしなのだが、それはない。
 浴室からあがったところのロビーが広々としていてチャイなど飲めるのはなかなかよい。
 夜は再びアフメト君の部屋へ。
 今度はパスタをごちそうになった。
 こちらも今度はビールを持参したが、3人ともあまり飲まないようだった。
 食事後、彼らにバックギャモンのやり方を教えてもらって、生まれて初めて体験した。
by haiderinn | 2007-10-30 09:50 | こんな毎日

誰なんだろう?

 お客さんも途切れて、仕込みやら後片付けやらしている午後、たまに彼女たちがやってきます。
 「那覇の雑貨屋なんですけど」
 いつも若い女性で、とっても感じがいいのが共通点。
 東京で移動販売しているときにも、那覇からではないけれど同じように「雑貨屋さん」が訪問販売にきました。
 だから、こんな日本の端にまで、この商売があるのか!と石垣ではじめに遭遇したときにはびっくり。
 よほどいい商売なんでしょうか。
 で、何を売りに来るかというと、電卓、文房具、腕時計など。
 それでいて1000円とかそのぐらいの安い値段。
 安いけれど、正直あまり必要としていないものなので、いつも申し訳ないけれど帰ってもらっています。
 「いらない」、と言うと、別に粘るでもなく、そのまま感じよくすぐに帰って行かれます。
 うーん。失礼ながら商売成り立つのか?帰った後いつもかんがえてしまいます。
 でも、東京にも沖縄にも同じようにしている人たちがいる。
 やっていけるんだなあ、なぜだろう??
 とっても不思議な方々です。

 11年前の今日。1996年10月29日。旅の160日目。トルコ ワン。
 ドゥバヤジットからドルムシュ(=ミニバス)でワンへ3時間の移動。
 途中で何と雪がちらついた。
 ワンはドゥバヤジットと比べると大きな町。商店街は垢ぬけた店も多く、道もしっかり舗装されている。
 服も民族衣装をつけている人がいたドゥバヤジットとは違い、ジーンズ、セーターにハーフコートなど「西洋風」になっている。
 皮ジャンを着た男が女の方に腕をかける。男女の間も「西洋風」に。
 雨も降り出し、気温もかなり低いのでホテルの部屋に戻ると、停電が起きた。
 停電とは久しぶりだ。インド以来じゃないか。
 トルコ東部はまだ貧しい地域なのかもしれない。
 一緒のN沢君は元気で、明かりの消えた街を歩き回っている。
 初めての海外旅行だそうで、いろんな発見があるようだ。
 それに比べると自分の好奇心は多少擦り減ってきているかもしれない。
 
by haiderinn | 2007-10-29 09:49 | こんな毎日

ミドリちゃんデビュー

a0094201_9221234.jpga0094201_9394549.jpg 以前からお店の前にもう少し植物などを置くようにしたい、と思っていたところ、Amiriさん移転にともない使わなくなった台をいただくことができたので、その上にグリーンを乗せて飾ることにしました。
 店内に置いてあるフリーペーパー「CLSA!」用の台もAmiriさんからのいただきものでした。ありがとうございます。
 このグリーンは、ワイヤープラントというもので、内地から一緒にやってきました。もじゃもじゃしているところに小さな葉を茂らせる様子が愛らしい植物。
 内地から来て環境の変化に適応できるかな、と思っていましたが、とても丈夫なやつで元気に茂っています。
 このワイヤープラントは名前を「ミドリちゃん」といいます。ミドリちゃんが丈夫なのは今に始まったことではなく、水やりが少なくて一度ほとんど枯れかけたところから元気に復活してきたり、こちらに来てからも白いカビのようなものに覆われたかと思いきや、少し枝をすいてあげたらすっかり元の緑に戻ったりと、強靭な生命力を見せてくれています。
 普段日光があたるところにいたので、店の前(北側)はもしかしたらよくないかもしれませんが、しばらく様子をみつつデビューさせることにしました。よろしくお願いします。

 11年前の今日。1996年10月28日。旅の159日目。トルコ ドゥバヤジット。
 ドゥバヤジットというところは、よく知らなかったが案外見どころが多い。アララト山の他に、実は伝説のノアの方舟もこの地に実際にあったのではないか、と思われている。ノアの方舟のあとらしきものがある、というのだ。それはちょっ眉唾ではあったけど。
 そして、昔この地を支配したクルド人の宮殿「イサク・パシャ宮殿」もある。その宮殿に歩いて向かった。
 これまでどこの国でも自分のように暇そうな外国人が歩いていると子供たちがよく寄ってきたものだが、トルコも例外ではなく、国境をぬけたところではたくさんの子供たちに囲まれた。
 「ジャパン?」と聞くと、次に彼らが知っている英語は「マイ ネーム イズ」だけらしい。面白いのは「マイ ネーム イズ?」と語尾を上げてこちらに問いかけてくるところ。どうやら「WHAT'S YOUR NAME?」と言いたいらしい。自分の名前を答えると一応納得する。
 その次に彼らが言っていることが最初はわからなかった。
 「パラ。 パラ。」
 親指と人差し指、中指をこすりながら「パラ。 パラ」。そして手を差し出す。
 どうやら「カネくれよ」といっているようだ。
 ストレートな物言いだ。
 でも、物乞いというわけでなく単なる子供。もちろんあげない。
 今日、イサク・パシャ宮殿に行くときも男の子が一人ついてきた。
 ちょっと道を聞いたら案内するつもりなのか、一緒に来てしまった。
 いや、自分はどっちの道に進むのかちょっと聞いただけなんだが。
 子供はついてきつつ、またしても「パラ」と直球のおねだり。
 金の代わりに来る前に買っておいたキットカットのようなチョコレートを自分と半分こにしてあげることにした。
 ただし、「イサクパシャについてから一緒に食べることにしようよ」
 と、日本語と身振り手振りで提案した。
 せこい話だが、今あげて、到着したらまたねだられるのがいやだったからだ。
 男の子は、なんとか理解したらしくチョコレートをポケットにしまって後からついてきた。
 町から宮殿までは田舎道を結構歩く。
 途中から坂道になりそのまま宮殿につながっている。
 ちょっと少年のほうを振り返ってみた。
 すると、なんとチョコレートを食っている。
 このガキ!
 叱りつけたら、泣き出してしまった。
 とほほ。大人げないことをした。せこい自分が悪い。
 途中、アララト山が見えた。国境を越えた時にみた小さな富士山ではなく、もっと立派なものだった。アララト山は大小二つあった。
 富士山よりも男性的な感じで、頂きの部分が広いためか雄大だ。
 宮殿についた。少し荒れていたが赤茶色の外観は美しい。
 少年はいつの間にかいなくなった。
 代わりに日本人の男性が登ってきた。N沢さん。トルコにはすでに2週間いる、とのことで物価やいろいろな情報を教えてくれた。
 明日、ワンに移動するということ。自分と同じなので行動を共にすることにした。
 下がイサク・パシャ宮殿
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by haiderinn | 2007-10-28 09:42 | こんな朔

飛ぶ人たち

 石垣島はここ数日、少しだけ夏がもどってきたような日々です。
 このところ内地に行く友達や内地からくる友達が多いのですが、そんな流れにのってか台風までもが内地行き。台風20号。こちらにはあまり影響ありませんが、関東地方の皆さんは暴風域に入るかもしれないとか。お気をつけて。
 まあ、内地の話題が多いためなのか、先日、料理長と内地のうまいラーメン屋さんの話になりました。それほどラーメンマニアでもないですが、あれこれ話をしている中で「ぶぶか」という店の話になりました。
 「油そば」という汁が少なめでこってりしたラーメンが有名な店でたしかにうまかった。
 でも、気になるのはラーメンそのものよりも店名でしょう。
 「ぶぶか」ってひらがなですが、やはり思い出すのはちょっと前まで世界記録を連発していた棒高跳びのセルゲイ・ブブカ。調べてみるとウクライナ人だそうです。
 いまだに破られていない世界記録6m14cmの保持者。6mですよ。あがるとき曲がり過ぎてバキッと折れたらどうするんだろう。飛び越えたとしても6m落下するんでしょ。こえぇぇぇ。
 しかし、さらに気になることが。それは、それだけ高く飛ぶために使う棒のこと。
 あれは、どのぐらいの長さがあるんでしょう。きっと3mはありますよねえ。
 代表選手級になると、きっと自分のマイ棒持ってると思うんだけど、普段は短くなっているんでしょうか。しかし、つないで使うような棒だと「しなり」がうまくでないような気もします。
 もしも、短くならない一本の棒だとしたら、どうやって持ち歩くんだろう。電車とかかなり迷惑でしょうし、かといって車に積むのも危険な長さのような気もします。
 競技場に行ったらみんなマイ棒持っているよな選手ばかりで、いろんな競技やっている中でかなりウットウシイ集団になったりしないんでしょうか。
 ちょっと調べてみると、棒の長さはいろいろあるようですが、4mから5mぐらい。値段も10万円前後。ちょっと初心者が手に入れられるものではなさそうですね。
 その他の私の疑問を解決してくれる情報は見つからなかったのですが、ひとつ面白い画像を紹介している方を見つけました。こちら

 11年前の今日。1996年10月27日。旅の158日目。トルコ ドゥバヤジット。
 宿替え。15万トルコリラのパラシュートペンションへ。15万トルコリラといったらどんだけ高いのかと思いきや、当時のレートで150円ほど。日に日に通貨の価値が下がっていくトルコリラ。両替は少しずつしていったほうがいい。
 西洋人には有名な宿なのか、行ってみるとドミトリーに自分以外は全員西洋人バックパッカーだった。この辺がインドあたりを旅行するときとは状況がずいぶん違う。
 夕飯を頼むことができたのでスタッフに頼んでおいた。
 ところが、別室で西洋人20人ほどのパーティーが催されスタッフはみんなそっちにかかりっきりに。飯はいつになってもこないので、堪忍しきれずスタッフに怒りをぶつけたらようやく持ってきてくれた。
 寝ようかと思ったが、3人部屋のドミトリーに自分の分のエキストラベッドを運んできてくれるはずだったのにそれも来ない。
 見かねてパーティー中の英国人たちが、自分のベッドを使って先に休んでいてくれ、と勧めてくれた。自分が逆に彼らの立場だったら同じようにベッドを譲ってあげられたかどうか。ウジウジと考える晩となった。
by haiderinn | 2007-10-27 09:28 | こんな毎日

今週の週替わりメニュー紹介

a0094201_845970.jpg 定休日開けの金曜日から翌週の水曜日までが朔の1週間。週替わりメニューも金曜日のスタートとなります。では今週の週替わりメニューをご紹介します。
 週替わりカレーは「ムング・ダール」。豆のカレーです。インドでもよく見かける緑豆を使った優しいカレー。バターを効かせてリッチな味に仕上げてあります。カレー自体にお肉は入っていませんが、タンドリーチキンが少しついています。このタンドリーチキンは午後2時からのメニューでも単品でご注文いただくことができます(750円)。
 週替わりサラダは「ベーコン、ポテト、グリーンピースのサラダ」です。マッシュポテトタイプではないポテトサラダですから比較的あっさりと召し上がっていただけると思います。
 週替わりデザートは「ハチミツヨーグルトムース 洋ナシのソースがけ」です。ほんのり香るはちみつのクリーミーヨーグルトムースです。秋らしい洋ナシのソースです。
 では、今週もよろしくお願いいたします。

 11年前の今日。1996年10月26日。旅の157日目。イラン タブリーズからトルコへ
 あと100ドル両替しておけばゆっくりできたのだが、ビザ期間内に使い切る額としては多すぎたのであわただしく出国。
 トルコに入ると、女性外国人ツーリストに地元のトルコ人が「もうスカーフははずしていいんだ。ここは自由なんだ」と言っていた。
 ここ数年とても来てみたかった国だ。国境の町はドゥバヤジットという。
 来てみて初めてしったのだが、ここからアララト山が見える。アララト山ってなんだ?。よく知らないが名前は聞いたことがあった。街へ向かうドルムシュというミニバスから見ると曇り空に富士山のような形の山がつまみあげられたように立っていた。しかし、意外に小さい。
 ドゥバヤジットの町は小さいが、さすが自由の国。ポルノビデオが堂々と店頭に飾られている。
 ツーリストインフォメーションのトミーという青年と話した。
 独身の彼は、結婚したら妻一人になってしまうが、独身のうちは何人もの女性と付き合えるから独身がいいよ、と話していた。うーん。最近通った国にはない自由だ。日本だと普通だが、新鮮だ。
 ひさびさにビールを飲んだ。
by haiderinn | 2007-10-26 09:06 | こんなメニュー

今日は飛びませんね

 久しぶりにDVD借りて映画を見ました。
 「飛ぶ教室」。何かの映画評で見てからずっと見てみたかった話です。
 舞台はドイツのライプツィヒ。ベルリンの壁崩壊までは東ドイツだったところ。
 生徒たちが寄宿舎を送る音楽学校に小学6年生ぐらいの転校生の主人公ヨナタンがやってきます。ほかでもこんな設定の映画を見たことがありますが(「コーラス」とか「今を生きる」とか)、自分の場合はこの舞台設定だけで引きづり込まれてしまいます。
 同じ部屋のメンバーは、ボクシングをやっていて喧嘩に強いやつ、天才科学者の卵、ちょっと大人びて新入りのヨナタンを温かく迎える子、頼りないいじめられっこなど。
 寄宿舎の生徒は同じ学校に家から通う生徒たちがいわば「敵」。敵対関係の通学生のなかにヨナタンとちいさい恋が芽生える女の子が現れます。
 ヨナタンとその仲間の少年たちは、クリスマスに演劇を上演することになっているのですが、なかなかいい台本が見つかりません。そんなとき、少年たちの「隠れ家」に行くと、昔誰かが書いた芝居「飛ぶ教室」の台本を偶然発見します。
 後半はその「飛ぶ教室」の上演めぐって思わぬハプニングが発生したり、少年がちょっと大人になるためのほろにがストーリーがあったり、また大人同士の友情話など、いくつかの展開がクリスマスの舞台上演というクライマックスへ向けて収束していく、というような映画です。
 いくつかの設定(寮生活、友達構成、隠れ家、敵方の女の子、台本の発見、理解ある先生の存在と台本との関係など)は、なんだか他の映画でも見たころあるなあ、という話なのですが、後半からラップがでてくるところで一気に脱マンネリのような展開になります。
 でも、正直いってマンネリのまま進行してくれてもよかった。あんまり詳しく説明できないけれどラップが入ることで、自分は映画の世界に浸ることができなくなってしまいました。おっさんだから、かもしれませんけど。
 描かれているのは、子供同士の友情とかちょっとだけ親子愛だとか、どうせありがちなことなんだから、無理に現代的な要素を入れずにクラシックな展開でまとめてくれた方がじんわり味わえたような気がするなあ。平凡な鑑賞者には不協和音だよ。
 児童文学のことはよく分からないのですが、この物語の原作はエーリヒ・ケストナーとうドイツの国民的な作家だそうで、「飛ぶ教室」は世界30カ国で出版されて70年の時を経て読み継がれてきたそうです。そんなに読む継がれているなら70年前の話として、そのまま映画化してほしかった気もするなあ。

 11年前の今日。1996年10月25日。旅の156日目。イラン タブリーズ。
 イランの東の端から西の端近いタブリーズまで、テヘランで一度乗り換えしたものの約24時間かけて到着。
 疲れた。バスターミナルから中心地へ。宿を探す。
 ところが、安宿が見つからない。フロントの後ろ側に明らかに部屋の鍵がたくさんぶら下がってるようなホテルでも「ない!」と言われた。
 どうやら外国人お断りのようだ。
 外国人でも泊まれるのは1泊10ドルもする(10ドル「も」、なんです)中級宿しかなかった。
 明日はイランとトルコの国境まで移動する。バスの出発は朝の6時半だ。
 仕方なく、バスターミナルに引き返す。
 夜もずいぶんふけてきたがバスターミナルにはたくさんのイラン人がいた。待合席のようなところは空きがなく、自分は窓口の近くに重い荷物を置き座っていた。
 もう、覚悟は決めていたが、ここで野宿をすることにした。
 この旅で初めての野宿。
 いつもはあまり使うことのない寝袋を広げて、もぐりこむ。
 イラン人が上から不審そうに見下ろしてくるが、疲れてどうでもよくなっていた。
 うるせえよ。なんとでも思え。寝るんだよ、わりいか?
 爆睡した。
by haiderinn | 2007-10-25 23:59 | こんな毎日

本日営業です

 昨日は、厨房設備の不良により、突然の休業となりました。おいでいただいたお客様にはたいへんご迷惑おかけいたしました。申し訳ありませんでした。
 本日は、通常通り営業いたします。よろしくお願いいたします。

 11年前の今日。1996年10月24日。旅の155日目。イラン マシュハド
 マシュハドのホテルはイランにはめずらしいことに、女性がフロントで働いていた。ハマダンで高校の教師には会っていたが、働いている女性を見るのはめずらしいことに思えた。ホテルのフロントでは必然的にいろんな男性と話をすることになってしまうのだけれど、その辺はいいのだろうか?しかもこんな聖地で。
 イランの謎がさらに深まったままマシュハドをあとに、トルコ方面へ向けてタブリーズという町に向けて出発。
by haiderinn | 2007-10-24 10:46 | こんな毎日

ちょっとしたアクセント

a0094201_8342997.jpga0094201_8344831.jpg 白い漆喰塗りにしてある朔の店内、もしかしたら少しだけ殺風景と思われているかもしれません。
 先日、ならびの器とザッカのお店「蓮屋」さんに、朔の店内に貼るのにちょうどいい民族風の布があったので購入。
 布には真ん中に大きな木。蓮屋のKちゃんの話では、これはアフリカにあるバオバブの木だとか。周りに象に乗った人たちと鳥。素朴です。
 貼る場所をどこにしようかとちょっともめましたが、厨房部の上の壁面に貼ることにしました。
 真白な壁のアクセントになりそうです。

 11年前の今日。1996年10月23日。旅の154日目。イラン マシュハド。
 マシュハドはイランの北東部に位置する。どちらかというとアフガニスタンの国境近くで、ずいぶん東に戻ったことになる。
 わざわざここまで戻ったのは、この街にはハラムというイスラムの美しい建築群があるからだ。ハラムにはイマーム・レザー廟という聖者の廟があるほか、イスラム教の神学校、図書館などが集まっている。
 宿はこのハラムのすぐそばで美しいイスラム建築が窓から間近によく見えた。
 さっそくハラムに行ってみる。
 入口でボディチェックと荷物検査が行われる。厳重だ。イスラム教徒に見える人たちはすんなり入っていく傍らで、自分はちょっと入念なチェックを受けた。
 検査官は自分のバッグの中の目覚まし時計を見つけた。
 「これは何だ」
 時計だ。
 といっても、不審そうに時計を眺めている。
 別に賄賂を要求している感じでもない。
 どうやら時限発火装置というものではないかと疑っているようだ。
 バカバカしかったが、宿に目覚ましを置いて出直した。宿が近くてよかった。
 自分は、腕時計というものが嫌いで、そのときも持ち歩いていたのは目覚ましにもなる小さな置時計だったが、こんな風に疑われたのは最初で最後だった。
 ハラムの中は見事だった。いくつもの中庭を囲む数多くのモスクや聖廟や図書館はすべてペルシャ文様やペルシャ文字のタイルで飾られている。イスファハンの王のモスクの巨大さと静けさも印象に残るが、こちらは多くの建物が集合しているので全体の印象は強い。というかやはり分かりやすいのがうれしい。
 多くの人々が昼の祈りを捧げている。男と女は分かれて祈る。祈る場所がモスク前の広い中庭から回廊のようになっている小部屋まで数多くある。どこでも皆祈っている。聖廟の金屋根が見えると胸に手をあてたり両手を広げたりして敬意を表す。
 モスクの中ではコーランなのか、何か唱朗している人もいる。
 神様の姿が描かれていないイスラム教で祈っている人の頭の中には何が描かれているんだろう。チベットでたくさん見た曼荼羅の仏の絵は瞑想のときになるべく細部まで心に描くための絵だと何かで読んだけれど、そんなチベット仏教とは、その点正反対だ。
 ぼんやりとあたりを眺めていると、一人のイスラム教徒らしき男から英語で声をかけられた。
 「パスポートをなくしてしまった。お金がいるのだが貸してくれないか?」
 どこかで聞いたことのある話だ。
 お断りだ。
 「どうして?」
 おれはインドであんたと同じことを言った男に会ったことがある。そいつにだまされたからだよ。
 男は仕方ない、といった感じに去って行った。
 たとえ本当だとしても、頼んだ相手が悪いんだ。
 夜のハラムはライトアップされてまた見事だった。

 イラン国内移動図↓
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by haiderinn | 2007-10-23 08:43 | こんな朔

流星はどっちに見える?

a0094201_10173619.jpg あー、月が明るいぜー。オリオンは東で月は西。
 昨日の晩はオリオン座流星群の発生極大と聞き、店を閉めてまた深夜の全日空ホテル前ビーチへ。
 しかーし、明る過ぎて、わたしは一個も発見できず。料理長は3つ見つけたのに(写真は夜空を明るく照らす石垣の月)。
 そして、もう寒ーい。ずっと夜のビーチにいるには、T-シャツの上に一枚長そでを羽織るぐらいでは寒いです。
 でも、南の島の浜辺で星を見れる、とうのは考えてみると贅沢なことです。
 ほかには誰もいないわけですから、なおさら。
 月があと何時間かしたら暗くなってたくさん見れたかもしれませんが、そんなに起きてられません。1時半帰宅。シャワーがあったかい。

 11年前の今日。1996年10月22日。旅の153日目。イラン ラムサール。
 カスピ海を見た。小石だらけの海岸はシーズンオフということもあり人影はほとんどなく、海の家が1件暇そうに店を開いているだけだった。子供のころ本で読んだ世界最大の湖に来た感慨は特になかった。やはり基本的になんでも遠くから見る方がいいのかもしれない。
 テヘランから山を越えてあきらかに風景が変わった。町と町を埋めていたものが砂から緑にかわり、建物の屋根にも傾斜がついている。この辺は雪が降るのかもしれない。
 その夜マシュハドへ向う夜行バスに乗る。
by haiderinn | 2007-10-22 10:30 | こんな毎日