<< 今年も夏のスペシャル 本日19時よりキャンドルナイトです >>

スローな夜に想ふ

a0094201_10124688.jpg なんとなく覚えているのはスローフードという言葉がスローライフより先に到着した、ということ。
 早食いの自分には「ゆっくり食え!」という耳の痛い標語にも思えたけれど、それだけでない意味だということもわかった。
 はじめてイタリアに行ったときにパスタが出てくるのがとても遅くて
 「これだからイタリアはよう。。。」
 と苦笑したら、たまたま出会って一緒に飯を食うことになったドイツ人が
 「でも、だからこそ温かいものが食べれるんだし」
 みたいなことをつぶやいたので、せっかちな自分が恥ずかしくなった。そんなことも思い出した。
 そうしたらジローラモさんは、朝早く築地にでかけて自分でシーフードを仕入れて、奥さんのためにイタリア料理をこしらえる。
 これこそスローフードです、みたいなことをテレビでやっていた。
 ああ、手間暇かけて自分で作るところも含めてスローフードというのか。
 すると、今度はスローライフだ、という。
 さらにロハスだという。
 本屋には「Lingkaran」やら「ソトコト」やら「天然生活」やら「ku:nel」やらの美しいスローライフ雑誌がたくさん並びだした(嫌いではない)。
 スローライフは昔の「三種の神器」(カラーテレビ、クーラー、自動車)と同じ、あこがれの存在みたいだ。
 でも、誰もが毎日築地に行って魚を仕入れられるわけでもなく、いつでも自分でパンをつくれるわけでもなく、日常的に燻製をつくれるわけでもない。
 忙しい毎日だからこそスローライフにあこがれる。
 そう、普通のひとは基本的に毎日忙しいっす。
 良いとわかっていても続けられない。面倒くさい。っていうか時間的に無理(元も子もない)。
 スローライフはダイエットに似ている。
 いつまでもあこがれ。
 だから消費の対象で(朔のキャンドルナイトもだから成り立つ)、消費を増やすスローライフというのは多分地球によくない。

 11年前の今日。1997年6月22日。旅の396日目。
 やはりどうしても一面のラベンダー畑が見たくなった。
 ディーニュに行ったときにマノスクの東側のバランソールのあたりがいい、と聞いたので、再びマノスク方面に向かう。
 今日は移動の関係で途中のフォルカルキエールへ。
 宿は街中から2kmほどは萎えた不便な場所にあるが、小麦畑や牧草地が広がる田舎の風景が楽しめた。
 宿までは途中で道を尋ねた人が車で送ってくれた。
 いやな奴に心を痛める以上に、こうした人たちにどれだけ世話になっていることか。
by haiderinn | 2008-06-22 10:17 | こんな毎日
<< 今年も夏のスペシャル 本日19時よりキャンドルナイトです >>