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朔の本棚紹介 「工夫貧乏のシアワセ」

 中国に行った時、長距離バスに乗るとことごとく途中で故障しました。
 町なかならまだ修理工場があったりするので、そこに行きます。
 ただ、たいていはどうしようもない田舎道でそんなことが起きるわけです。
 あるときはチベットの高山で、あるときはすでに40時間ほどのってくたくたになり、もう少しで目的地につくという途中で、故障したりしました。
 そんなときどうなるか。車の外に出され、ときにはバスを押せと言われて客がこぞってバスを押し、エンジンを押しがけしたり、延々と修理が終わるのを待ったりするわけです。
 ここで驚くべきことは、中国人の運転手や助手が「自分の手で」バスの故障をなんとか直しちゃうこと。
 たいしたもんです。
 日本の運転手たちにもそんなことができるのでしょうか?メカ音痴の私には無理そうです。
 話は変わりますが、中国の市場はとてもおもしろく、食品市場にはよくわからんものも含めいろんな食材が売っています。
 ある日、そんな市場をのぞいていると、裏の方で若い女性が鶏を絞めていました。
 一羽一羽つかんでは、首をぽっきり折って、ドラム缶のようなところにポイっ、ポイって投げ込むのを、無表情に繰り返す女性。
 その仕事ぶりに唖然としたのですが、そういう生々しいことが身の回りにむき出しになってある。これこそが中国だと思うわけです。そして、そんなことを見るときが実は旅行をしていて一番興味深い瞬間だったりするわけです。
 中身むき出し。そのまんま。そして、その仕組みというのが、まだ一般人の手におえる。わかりやすい。
 きっと、だから、バスだって修理してしまう。
 いろんなことがハイテクになってブラックボックスの中に入ってわけわからんようになっている自分たちの身の回りとちょっと違うわけです。
 生々しいものが遠くにいっちゃっている日本にいると、こんな中国がやたらとおもしろいわけです。
a0094201_243440.jpg で、本題(前置きなげー)。
 朔の本棚にこういう本があります。
 「工夫貧乏のシアワセ」
 久住昌之著。双葉社。
 この本は「オジハル」と呼ばれている著者のお父さんが身の回りのものに加えてきた数々の「工夫」について書かれています。
 その「工夫」は、悲しいことに、そしてまた笑えるほどに「ツメ」の甘さというか手薄な点が必ずあります。
 しかし、「オジハル」はそんな失敗など全く意に介さず、今日も次から次への工夫を凝らして日常の不便を解消しようとしています。そしてその工夫が新たな不便を呼んでいます。
 たとえば、旅行から帰ってきたときに郵便受けから新聞があふれ出ていた。それを見たオジハルは、「10日や20日家を空けても大丈夫」なぐらい縦長の郵便受けを自分で作ってしまいます。
 ところが、こんなことがおきます。
 新聞屋が外から新聞をその郵便受けの中にいれこまず、受け口に半分出して配達することはよく見る光景ですが、そうなると、長い郵便受けの下のほうにある取り出し口から新聞がとれない!やむなくわざわざ塀の外に出て新聞を取らねばならない事態に。
 さらに、ちょっと重量のある物体がその郵便受けの中にドスンと入れられるうち、自作の郵便受けの底のハンダどめが破れて、結局小さなはがきなどは破れから外に出てしまう、というさらなる不便が。。。
 とまあ、こんなことが丸ごと一冊の本になっているわけです。笑わずには読めませんでした。
 発明にも特許にも至らない「工夫」。
 むき出しのわかりやすさ。わかりやすいから素人にもできる。素人がやるからおもしろい。
 中国の人々のことを思いだしました(で、前置きにつながる)。

 11年前の今日。1996年12月12日。旅の204日目。トルコ ベルガマ。
 明け方6時、バスの車掌に起こされた。外はまだ真っ暗。
 「ベルガマだ」
 寝ぼけた頭で、それでも忘れ物はしないようにだけ気をつけてステップを降りた。
 そこには何もなかった。
 オトガル(=バスステーション)はおろか、何の建物もない。
 「ベルガマはあっちだ」
 車掌は指さす。
 「ここからトウェンティースリーキロだ」
 ええええええ!
 じゃベルガマじゃねえじゃん。
 単にベルガマ近くを通る他の目的地行きのバスだった。
 バスは逃げるように遠ざかった。
 しかも車掌が指差した方向は全く逆だったらしい。
 たまたま近くに駐車していたポリスが自分が歩きかけたのと逆方向を指差した。
 しかし彼らも冷たく去ってしまい、自分は夜明け前のさびしい暗闇の中を、おどしかけるようなトラックの爆音におびえながら、とぼとぼ歩くしかなかった。
 タクシーなど通る気配はない。
 途方にくれながら歩いていると工場らしきところがあった。そこのトルコ人に聞くと、あと7kmだそうだ。
 もう16kmも歩いたのか。
 んなわけない。
 バスの車掌が適当なんだ。
 7kmならなんとかなるかも。
 と思っていたところに路線バスがやってきた。
 助かった。
 バスは、うっすらと夜が明けてきた村をベルガマの町へと運んでくれた。
 ベルガマは円形劇場が見どころ。
 だが、遺跡よりも人の良さが印象的だった。
 ペンションのオーナーとその奥さん。スーパーのレジ。インフォメーションの女性。
 出会う人がみな親切だった。日本語を勉強している人もいた。
 こういう町がいい町だ、と思ってしまう。
 円形劇場は初めてみたが、どんよりした曇り空の下ではあまりはえない。
by haiderinn | 2007-12-12 02:45 | こんな朔
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